矢島盆地南東部のほぼ中央、高さ1〜2メートルの低台地上に位置する。 伝承によると相庭小太郎の居館とされ、また1751〜63年(宝暦年間)に矢島藩郡奉行が記した「御領分覚書」には「大井五郎満安公の御家臣相庭何某の住館なり」とある。築城者・年代についてははっきりしないが、1573〜92年(天正年間)から1592〜96年(文禄年間)頃、「由利十二頭記」や「奥羽永慶軍記」等にも名が見える相庭氏一族により築かれたと考えられる。 西端に建つ土田家住宅(土田家は木曽義仲の四天王の一人、根井小弥太行親を祖とし、江戸時代に帰農してこの地に居住したとされる)から東端に建つ古峯神社一帯が館址だが、宅地化されている。
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