赤木城

赤木城あかぎじょう
三重県熊野市紀和町赤木
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--本丸虎口--
別名        
交通 JR紀勢本線「熊野市駅」から車で50分。
築城年代 1589年(天正17)
築城者 藤堂高虎
形式 平山城
主な城主 藤堂高虎
1585年(天正13)豊臣秀吉による紀州征伐後、熊野は豊臣秀長の所領となるが、豊臣支配に反対する大規模な一揆が度々起こった事から、藤堂高虎によりこの赤木城が築かれたと推定される。そして最初の城主は吉川平蔵・同三蔵であったという。
その後高虎及び羽田正親は北山代官としてこの地に在居し、一揆に関わった農民多数を田平子峠で斬首している。1614年(慶長19)大坂冬の陣の余波による一揆が再び起こると、浅野氏が一揆制圧の拠点として利用したと考えられる。
当初は各所で石垣が崩落していたが、近年発掘調査・工事が行われ、現在は綺麗に整備されている。山深い地でアクセスは大変だが、築城の名手藤堂高虎による普請、そして中世城郭から近世城郭へ移行する過度期の貴重な城址である。
東麓から遠望
正面は伝鍛冶屋敷
東曲輪門跡 東曲輪から本丸への虎口
本丸連続枡形虎口 内側から見る本丸連続枡形虎口 本丸
本丸から見る東曲輪 本丸から見る西曲輪 本丸から見る北曲輪
北曲輪下堀切 本丸西石垣 本丸南石垣
西曲輪 西曲輪石垣 南曲輪


田平子峠
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田平子峠
田平子峠刑場跡 田平子峠から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                 「三重の城 三重県良書出版会」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年1月