明智城

明智城あけちじょう
岐阜県可児市瀬田
Mapion

--本丸に立つ城址碑--
別名 長山城
交通 名鉄広見線「明智駅」から徒歩15分。
築城年代 13世紀
築城者 土岐頼基
形式 平山城
主な城主 明智光秀
明智城の創建については1342年(康永1)土岐成頼の10男で、明智を称した土岐下野守頼兼と、その兄頼基とする2説があるが、頼兼の没年は1329年(元徳1)とされる事から不合理が生じ、定かではない。
以後明智氏が代々居城し、1556年(弘治2)斎藤義龍に攻められ落城、一族は離散するが、この時最後の城主光秀は城を脱出し、明智を再興したといわれる。
光秀産湯と伝わる井戸が残るが、恵那明智町にも同様の伝承が残り、詳しい事は明らかではない。
大手(桔梗坂)に復元された冠木門 二の丸 馬場跡
七ツ塚
1556年(弘治2)斎藤勢により落城
討死した明智7武将を葬った塚
西出丸跡 搦手曲輪跡

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年4月