この地は高梨氏一族が領していたが、1555〜58年(弘治年間)頃、武田氏の圧迫によって中野館を退去した高梨政頼は飯山に逃れる。 1582年(天正10)武田氏滅亡後、上杉景勝が川中島を支配すると、8月政頼の子である頼親は安源寺2千貫の知行を得た。頼親は一族の旧館である安源寺館に入ると、新たな館城として安源寺城普請に取り掛かった。しかし間も無く中野館への入城が叶った為、この安源寺城は未完成のままに廃城となった。 |
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西側、林檎畑にある安源寺跡碑 安源寺という大寺があったが、 1559年(永禄2)戦火により焼失した。 その後再興はならなかったが、 安源寺の名は地名として残った。 |
参考文献 「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年10月