古くより諏訪と伊那谷を結ぶ要所であった有賀峠登り口に位置する。 1219〜1222年(承久年間)諏訪氏の支族、有賀氏が当地に入り、その後築かれた山城と考えられる。 1548年(天文17)諏訪氏を滅ぼした武田氏の支配がこの地に及び、有賀氏ら西方衆は武田信玄と争うが敗退し、追放された。 その後武田方原美濃守が入城し、そして武田方に協力した千野靭負尉へと支配が移された。 1601年(慶長6)再興した諏訪氏の再入部にあたり、千野丹波守房清が入城し、江音寺東側にみられる「丹波屋敷」の地名はこれに因むといわれる。 |
参考文献 「現地案内板」
「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年10月