1705年(宝永2)三河国田原城主戸田尊次の2男忠次の子の忠利は、1万1千石の大名として足利の領地を拝し、以後戸田氏は160年間9代忠行まで足利の藩主となった。 1705年(宝永2)当時、人家はほとんど無かったというが、1748年(寛延1)2月に忠言が入り、1758年(宝暦8)陣屋や現在の町並みが完成する。 1871年(明治4)最後の藩主忠行が廃藩置県に伴い東京へ移住した後、1876年(明治9)陣屋は火災により大部分が焼失した。 地図の地点に案内板があり、そこから北へ少し歩くと藩主御書院脇にあったとされる井戸が残されている。また雪輪町の地名は戸田家の馬印から名付けられたものであるという。 |