粟津原古戦場

粟津原古戦場
滋賀県大津市晴嵐2丁目

1184年(寿永3)
源義仲×源範頼・義経
Mapion

--今井兼平墓所--
交通 各線「石山駅」から徒歩5分。
1183年(寿永2)倶利伽羅峠の合戦で勝利した源義仲は上洛を果たした。
やがて義仲は後白河法皇と対立するようになり、源頼朝は義仲を討つ為、範頼・義経に6万の兵を与え、京に向かわせる。
1184年(寿永3)1月20日、範頼・義経率いる東国勢は入京し、義仲は北陸路へ向けて敗走した。しかし近江に入った頃には僅か7騎となっており、粟津の松原において深田に馬が足を取られ、義仲は討死、最後まで従っていた乳母子の今井兼平も自刃した。
兼平の墓は元々「墨黒谷」にあった粗末な塚で、膳所藩主本多康政によってこの地に移されたという。

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2008年1月