「新編武蔵国風土記稿」中延村の八幡社の項に、現在の法蓮寺・荏原八幡社境域に荏原氏の館が置かれていたと推測出来る記述がある。 源家の庶流とされる荏原氏がこの地を領した詳しい時期は明らかではないが、1264〜74年(文永年間)に荏原左衛門義宗の名がみえる。義宗は日蓮宗の信仰厚く、子を日朗に入僧させ、その後剃髪した朗慶は義宗の死後に荏原館を廃して寺院を建立し、八幡宮を造営した。これが法蓮寺・荏原八幡社であるという。 1030年(長元3)平忠常の乱を平定すべく、源頼信が下総に向かう途中この地に宿営しており、元々荏原八幡社はこの時奉斎された八幡大神に戦勝祈願をした事が発祥とされる。 |