1439年(永享11)永享の乱において戦功のあった土岐左馬助秀成がこの地を加増された時、築かれたとされる。また一説に1278〜88年(弘安年間)土岐師親が信太荘の地頭となり、その孫の景秀が築いたともいわれる。以後土岐氏は江戸崎城を居城とし、戦国時代には県南を代表する勢力となる。 1590年(天正18)9代治綱の時、豊臣秀吉に従わなかった為、佐竹氏家臣芦名盛重と争い滅亡した。
土岐氏滅亡後、江戸崎城には盛重が入城するが、1603年(慶長7)佐竹氏の出羽移封に盛重も従い、江戸崎城は間も無く廃城になったと思われる。 江戸崎小学校南、城山稲荷が建つ地が本丸。二の丸はグラウンドとなり、その北側の鹿島神社境内に土塁が残されている。 |