城歴は明らかではないが、清和源氏源頼信の子孫である大井朝光の孫彦太郎時光が、佐久郡大室に移り大室氏を称した後、この富士見城は大室氏の要害城であったと思われる。 1532〜54年(天文年間)には武田氏の佐久地方統括拠点であった小諸鍋蓋城の支城として改修されたと考えられる。 1582年(天正10)武田氏の滅亡後、徳川・上杉・北条が信州を巡り争う中、小県に勢力を持つ真田氏と徳川氏が争い、徳川方武将柴田七九郎康忠が一時この城に在城したという。 |
参考文献 「現地案内板」
「日本城郭全集 人物往来社」
「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年4月