藤原乗国は、宅間系図の宅間上杉憲忠を指すと考えられ、その子憲方が「伊予守」を名乗っていた事から字「伊予殿根」、現在の永野小学校及びその背後の丘陵が城址と比定されるが、一帯は宅地化されている為、確認は困難である。
●永谷天満宮 永谷天満宮境内は1493年(明応2)藤原乗国により造営されたと伝えられる。その後1543年(天文12)宅間伊織綱頼が宮社を修造し、1582年(天正10)には宅間藤原規富が宮社を新しく造営し奉った。 背後の丘陵(天神山)頂部には削平地があり、詰城があったのではないかと推定される。 |