藤原純友館

藤原純友館ふじわらのすみともやかた
愛媛県松山市明神丘
Mapion

--館址碑--
別名    
交通 伊予鉄道高浜線「山西駅」から徒歩10分。
築城年代 平安時代
築城者 藤原純友
形式
主な城主 藤原純友
藤原長良の曾孫で大宰少弐良範の子、藤原純友居館跡。
海賊鎮圧の命を受けた純友は伊予国日振島に集結する海賊を帰降させるが、939年(天慶2)東国で平将門の乱が起きた頃、海上に出奔し、配下に摂津国須岐駅を襲わせ、備前介藤原子高らを捕縛した。翌年朝廷は従五位下の位階を授けて懐柔しようとするが、その後純友は四国を始め、瀬戸内海沿岸や九州各地を襲撃した。
東国の乱を平定した朝廷は純友追討の命を下し、941年(天慶4)小野好古や源経基らに攻められ、伊予を追われた純友は大宰府を襲うが敗れ、再び伊予へ戻った所を伊予国警固使橘遠保に討たれた。
純友の最後については諸説あるが、現地案内板には941年(天慶4)6月20日、この館で没したとある。
久枝神社の南「大明神ヶ丘」が館址とされるが、丘上は墓地になっており、北隅に碑が立つのみとなっている。また久枝神社境内には駒立岩や純友が使用したと伝わる井戸が残されている。
Mapion
久枝神社・純友駒立岩
久枝神社・伝純友使用井戸

参考文献 「現地案内板」
                   「瀬戸内水軍散歩 山川出版社」
訪城回数 1
2015年7月