深見は平安末期頃から藤原氏の後裔山田伊賀守経道の所領で、相模東部に大きな勢力を持っていた。 1452年(享徳1)頃、山田経光が居城したといわれるが確証はない。 1504〜20年(永正年間)頃、後北条氏の支配下に入ると、小田原と江戸を結ぶ矢倉沢往還に近く、境川が東に流れ、高座郡の平野を一望できるこの地は重要視され、街道や河用交通の確保、武蔵と相模の境目の防御を兼ねた軍事拠点が置かれていたと考えられる。 |
参考文献 「現地案内板」
「日本城郭全集 人物往来社」
訪城回数 2
2006年3月
2009年12月