1159年(平治1)平治の乱で源氏を一掃した平清盛は、後白河上皇との君臣関係を続けつつ、自分をはじめ一族の地位や領国をその手中に収め、平氏全盛期を築く。 しかし1168年(仁安3)清盛は病に倒れると出家し、この福原の地に別荘として雪見御所を造営し、隠棲生活を始める。福原は海都であり、交通の便も良く、日宗貿易の拠点である大輪田泊を見晴らす地で、平家一門が多くの邸宅を構えていた。 1180年(治承4)政権の強化を図った清盛は、戦いに無防備な京に比べ、航路も開け、西国への政権拡大の拠点として最適地であったこの福原に孫の安徳天皇を奉じて遷都する。しかしあまりにも急な遷都は中途で頓挫、僅か半年で平安京に還都した為、実態としての都は完成しなかった。 源頼朝が伊豆で挙兵すると反乱は全国に広がり、1183年(寿永2)源義仲によって都落ちした平宗盛ら平家一門は福原に一泊し、翌日福原に火を放って西国に逃れた。
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