懐島館

懐島館ふところじまやかた
神奈川県茅ヶ崎市円蔵
Mapion

--神明神社に立つ館址碑--
別名 懐島権守景義館
交通 JR相模線「北茅ヶ崎駅」から徒歩15分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 懐島権守景義
形式
主な城主 懐島権守景義
鎌倉時代、源頼朝に従い、活躍した大庭景義館跡。大庭氏の系譜については諸説あるが、1083年(永保3)〜1087年(寛治1)後三年の役の際、源義家に従い活躍した鎌倉権五郎景政の孫である大庭景忠を祖とする。景忠は次男景親に本領である大庭郷、長男景義に懐島郷、景久に俣野郷を分地する。懐島郷を与えられた景義は円蔵の地に館を構えて本拠とし、後に懐島権守景義と称すようになる。
1180年(治承4)8月、伊豆に挙兵した源頼朝が相模国土肥郷に進出すると、弟景親は平家方総大将として石橋山に迎え撃ち、後に斬罪となるが、景義は当初から頼朝に従い、その功績により鎌倉幕府の重臣となった。
景義没後、景兼が跡を継ぐが、1213年(建暦3)和田合戦で討死、所領は没収され、懐島は二階堂行政に与えられた。
後に懐島郷は大仏貞長の所領となり、南北朝時代初期には足利直義が領している。また戦国時代には後北条氏家臣である近藤孫太郎が領しているが、この館は鎌倉時代から戦国時代末期まで代々領主により利用されたものと推定される。
神明神社付近が館址とされ、境内に景義像や顕彰碑が立つ。明確な遺構は残されていないが、社殿裏手の畑や神社西側に残る溝は堀跡と考えられている。
神明神社 社殿 土塁跡碑
1801〜04年(享和年間)出土礎石 五輪塔 神社北側

参考文献 「神奈川中世城郭図鑑 戎光祥出版」
       「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年4月