藤原秀郷の子孫、佐伯経範が祖となる波多野氏の居城とされる。 1180年(治承4)当時の当主波多野義常は、源頼朝の挙兵に参加する事を拒み、松田の館で自害する。その後叔父である義景が継ぎ、更に1213年(建保1)5月、和田義盛の乱で義景の子盛通が和田方に従い滅んだ為、義常の弟忠綱が家督を継いだ。 波多野氏に代々継がれた波多野本庄北方の地が寺山だとされているが、正確な位置や範囲は特定されておらず、発掘調査の結果、波多野氏に関する遺構は見つける事が出来なかったという。しかし空堀とされる低地から大量の馬歯が発掘され、古代雨乞いの儀式が行われた場所であったという事が判明した。 |