浜田城

浜田城はまだじょう
三重県四日市市鵜の森1丁目
Mapion

--鵜森神社に立つ城址碑--
別名      
交通 近鉄各線「近鉄四日市駅」から徒歩5分。
築城年代 1470年(文明2)
築城者 田原忠秀
形式 平城
主な城主 田原重綱
1470年(文明2)赤堀城主である田原景信の3男忠秀により築かれ、藤綱・元綱・重綱まで4代の居城となった。
1575年(天正3)織田信長の北伊勢攻略の際、滝川一益に攻められ落城、元綱は討死し、重綱は美濃へ逃れた。その後重綱は織田信雄に従うが、1584年(天正12)信雄と豊臣秀吉の争いにおいて、美濃加賀野井城で討死し、浜田家は廃絶した。
現在城址は鵜森神社・鵜の森公園となっており、鵜森神社境内に僅かに土塁が残されている。

参考文献 「現地案内板」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2014年1月