「下諏訪町誌」によると、東堀と西堀の地は元々一郷で古くは堀之内といわれており、鎌倉時代、金刺氏一族により開墾された地頭支配の地で柴宮はその居館と考えられている。また西堀の地頭と思われる竹居宮内丞との関連も示唆している。 またこの地には宗良親王の伝説が残り、一説に柴宮は「仮の御所」という意味で境内に宗良親王御奮跡碑が立つ。 現在遺構は確認出来ないが、明治初年まで土居や堀が巡らされていたといわれ、古屋敷や御所等の小字名が残されている。 |
参考文献 「信濃の山城と館 戎光祥出版」
訪城回数 1
2019年3月