樋詰城

樋詰城ひのつめじょう
長崎県壱岐市勝本町新城東触
Mapion

--新城神社--
別名     
交通 「芦辺港」からバス「新城橋」下車。
築城年代 鎌倉時代
築城者 平景隆
形式 平山城
主な城主 平景隆
壱岐国守護少弐氏の守護代平景隆居館跡。
1274年(文永11)文永の役の際、平景隆以下100余騎は10月14日、浦海海岸に上陸した元軍を迎え討ち、各地で戦うが、唐人原で大敗すると、樋詰城に退き、翌15日景隆勢は衆寡敵せず全滅したという。
城址には景隆と元寇の戦死者を祭神とする新城神社が建ち、本堂横に景隆墓所が立つ。また東側には戦死者を葬った千人塚があり、新城古戦場として碑が立てられている。
新城神社境内 平景隆墓所 南東から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                     「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年7月