平野環濠

平野環濠ひらのかんごう
大阪府大阪市平野区平野宮町2
Mapion

--杭全神社に立つ碑--
別名       
交通 JR関西本線「平野駅」から徒歩5分。
築城年代 15世紀末頃か
築城者      
形式 環濠集落
主な城主       
平野環濠の成立年代は明らかではないが、15世紀末頃以降、平野周辺の町や村落の多くが環濠によって戦乱から自らを守っていた事が知られる事から、ほぼ同時期に始まるとみられている。周囲には環濠が巡らされ、大小13の木戸があり、八尾・古市・堺等への道路が放射状に延びていた。
1614年(慶長19)大坂冬の陣に際し、平野は東軍の支配下に入り、11月17日から半月間、将軍徳川秀忠の陣所となった。
1615年(慶長20)大坂夏の陣では、大坂方の後藤又兵衛基次が6日の道明寺への出撃までこの地を陣営とした。その後藤堂勢に火を放たれ、町の大部分が焼亡したという。
江戸時代には1615年(元和1)〜元禄7、1710年(宝永7)〜1712年(正徳2)の2期にわたり、幕府直轄地となった。それ以外は大名領となり、平野環濠内に古河藩陣屋が置かれていた。
杭全神社境内に碑が立ち、北から東にかけて環濠が残されている。

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
             「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2009年5月