福岡県築上郡吉富町広津 --天仲寺山-- |
別名 | |
交通 | JR日豊本線「吉富駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 941年(天慶4) |
築城者 | 源経基 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 広津鎮種 |
941年(天慶4)源経基が藤原純友の乱に備える為、築いたとされる。 鎌倉時代に入り、宇都宮氏に攻められ落城、宇都宮氏の被官広津氏が入城した。 1557年(弘治3)大内氏滅亡後、広津城は毛利氏に内通した秋月文種方の山田隆朝らに攻められるが、広津鎮種は広津城に籠城した大友方の杉隆哉・佐田隆居らと共に防戦した。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、豊前に入部した黒田氏が中津城を築城する際、廃城となった。 吉富駅からすぐ南に見える天仲寺山が城址。公園や配水地敷地となっており、明確な遺構は残されていないが中津城主小笠原氏代々の墓が並んでいる。またここから北に建つ広運寺付近も城域で、境内に宇都宮鎮房家臣である野田新助・吉岡八太夫2人の墓所が立つ。1588年(天正16)黒田長政に招かれた鎮房は中津城内で謀殺され、家臣も討ち取られるが、この時2人は深手を負いながら、広運寺まで逃れ自害したのだという。 |
堀切跡か | 小笠原長次墓 | 広運寺に立つ野田・吉岡氏墓所 |