猪俣城

猪俣城いのまたじょう
埼玉県児玉郡美里町猪俣
Mapion
登山口地図

--北西二重堀切--
別名    
交通 東武東上線「寄居駅」から登山口まで徒歩25分。
地図の地点、大正池を過ぎ道なりに進むと鐘撞堂山案内があり
ます。鐘撞堂山山頂から北尾根コースを進み15分程ですが
城址への案内はありません。赤白のEと書かれた看板を過ぎ
右手麓にゴルフ場を見ながら5分ほどで城址です。
築城年代 室町時代
築城者 猪俣兵庫頭入道
形式 山城
主な城主 猪俣氏
武蔵七党の一つ猪俣氏の猪俣小平六範綱の6代に当たる猪俣兵庫頭入道が住し、以後猪俣氏が代々猪俣介と号し居住したといわれる。
戦国時代に入ると鉢形城主北条氏邦に従った。

●鐘撞堂山
鉢形城の物見跡で、鐘を用いて連絡していた事からこの名が付いたとされ、北条氏邦の義父である藤田康邦が築いたといわれる。また一説に鎌倉時代、猪俣小平六範綱が築いたともいわれる。
1590年(天正18)豊臣勢に攻められ落城した際、ここの鐘も取り去られたと伝えられている。
鐘撞堂山山頂 鐘撞堂山山頂からの眺め 南曲輪・北曲輪間土橋
北曲輪
中央に大きな窪みがみられる
狼煙場・又は井戸跡か
北東堀切 北西二重堀切の一つ

参考文献 「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年2月