「小田原衆所領役帳」にみえる伊丹右衛門太夫屋敷跡。伊丹右衛門太夫は後北条氏初期の武士とみられるが、手子神社は1473年(文明4)釜利谷の領主で細川陸奥守重臣の伊丹左京亮の勧請とされる事から伊丹氏は古くからこの地に所領を有していたと考えられる。 釜利谷小学校裏手の「堀の内」が伝承地だが宅地化されている。付近の禅林寺は右衛門太夫と同時代の一族と考えられる伊丹三河守永親の中興開基とされ、境内に伊丹氏一族の墓所がある。 |
参考文献 「現地案内板」
「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2020年2月