陸奥国磐城の国人衆の一人、上遠野氏居城。1189年(文治5)源頼朝による奥州征伐で活躍した小山朝政は、勿来の関北部の菊田荘を与えられた。その後朝政の子孫秀時は入上遠野(入遠野)に日ノ澤城を築き、上遠野と称すと、室町時代、郡内の統一によりこの地に居城を移したという。 やがて上遠野氏は岩城氏配下となり、1615年(元和1)一国一城令により上遠野城は廃城となった。 南東麓に建つ八幡神社から登山道があり、主郭部に至る尾根上に曲輪や堀切が残されている。主郭部は複数の段曲輪から構成され、一部石積みも確認出来る。ここから北西に向かうと物見台・しのぶ平・亀の子石(のろし台)を経てもう一つの登山口である上遠野公民館前まで綺麗に整備されたハイキングコースが通っており、公民館駐車場にパンフレット・案内板が設置されている。 |