越智城主越智氏が詰城として築いたとされ、国中に進出する攻撃拠点でもあった。 1546年(天文15)9月25日、筒井順昭が6千騎で「貝吹ノ城」と「ヲキ田ノ城」を攻め、10月10日に越智方が貝吹城を明け渡した事が史料に見え、以後筒井方の城となった。同18年そして1557年(弘治3)の2度に渡り越智方が奪取を試みるがいずれも失敗している。 その後越智伊予守が貝吹城に復帰した。1568年(永禄11)松永勢に攻められるも守り抜き、翌年5月10日にも松永久秀自身が子久通と共に押し寄せたが再び撃退した。しかし籠城に疲れたのか、11月4日松永勢に城を明け渡した。 1580年(天正8)織田信長の一国破城令により廃城となる。 |