群馬県沼田市上川田町 --城址-- |
別名 | |
交通 | JR上越線「沼田駅」から徒歩40分。 |
築城年代 | |
築城者 | 沼田氏 |
形式 | 崖端城 |
主な城主 | 発知氏 |
上川田城の創建については諸説あり、沼田景久の4男景信により築かれたとも、沼田景家が築城し、発知氏が居城したとも、または沼田氏3代景盛の子三郎景宗が発知城に分家し、発知氏を称し、その弟兵部為時が上川田城を築いたともいわれる。 1579年(天正7)発知図書介為信は真田昌幸に属し、翌年3月、白井城主長尾憲景の侵攻に対し、発知左衛門・山名四郎と共に薄尾根の原に陣して迎撃したという。 1585年(天正13)北条氏直が沼田を攻めた際、発知図書・左衛門兄弟は渡辺左近と共に雨乞山で奮戦したとされる。 東側を流れる利根川に面した崖端に築かれている。東西2つの曲輪から成り、両曲輪間と台地基部を堀で区切る構造であった。現在城址は宅地や耕地となり、見学出来る個所は少ないが、道沿いに堀の痕跡が残されている。 |
堀跡か | 城址南側 | 発知氏開基である東光寺 |