1796年(寛政9)三厩沖に外国船が現れた事に始まり、北方海域に頻繁に出没してきた事から、弘前藩は海岸防備を重視、1811年(文化8)6月、この地に台場を設けた。 1843年(天保14)6月、蟹田町奉行所に大筒役3名、同心2名を増員し、沿岸の防備を固めた。 現在台場跡は観瀾山公園となっている。元々この地には蝦夷館(チャシ)があったとされるが、台場造成の為、遺構のほとんどが破壊されたという。
●蟹田奉行所 1669年(寛文9)弘前藩主4代津軽信政の頃に置かれたとされる。 1843年(天保14)6月には台場警護の役も加わり、銃器等も備えられた。 |