勝峯山城

勝峯山城かっぽやまじょう
東京都西多摩郡日の出町大久野
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登山口地図

--現在の勝峯山山頂--
別名 一夜城
交通 JR五日市線「武蔵五日市駅」からバス「大久野中学校」下車。
バス停から登山口まで徒歩10分。
地図の地点左側に登山道があります。
築城年代       
築城者        
形式 山城
主な城主        
奥多摩地方には平将門にまつわる伝承が多く残されているが、勝峯山もその一つで、939年(天慶2)12月、藤原秀郷(田原藤太)に追われた将門は、相模原方面から北上し、勝峯山に一夜城を築いたのだという。翌年1月7日、幸神に陣した秀郷軍は(秀郷の陣した場所は後年藤太口といわれる)、菅口六郎を先陣として向山から攻め上がり、激しい争いの末、将門は夜陰に紛れ、青梅方面へ逃れたという。他に勝峯山周辺には将門が逃れる際に通ったという「将門坂」や鈴ヶ御前が好んだという「鈴石」等、話が残されているが、史実ではなく、伝承に過ぎない。しかし「馬場」等の地名があった事は確かのようで、何らかの城砦が築かれていたと考えられている。
日本城郭大系 新人物往来社」では山そのものが石灰採掘により消滅したとしており、現在の勝峯山山頂は南側一部で、更に高い山であったようである。一帯には平場が見られるがこれらはハイキングコース造成に伴うものと思われ、遺構らしきものは確認出来ない。
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藤太橋(秀郷陣跡という伝承が残る)
かつてこの地には藤太橋と呼ばれる
石橋があったとされ、案内板下に
その橋材という石が置かれている
登山道途中から見る勝峯山北側
採掘により破壊されている
勝峯山から東方の眺め

参考文献 「現地案内板」
                    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年2月