苅田城

苅田城かりたじょう
長野県上高井郡小布施町雁田
Mapion

--二の丸連続堀切--
別名 雁田城・城山
交通 長野電鉄長野線「都住駅」から登山口まで徒歩25分。
築城年代  
築城者  
形式 山城
主な城主 高梨氏
小城(物見城)と大城(古城)一体で苅田城と呼ばれる。
築城年代・位置・名称等解明されていない部分が非常に多く、古くはアイヌ人の城「チャシ」、あるいは大和朝廷の東征時(3〜4世紀)に作られた柵ともされる。
史実から豪族高梨氏との関わりが深く、1489年(延徳1)以降はその支配が確立された。1561年(永禄4)武田信玄が高井地方を支配下とするまでの間苅田城・二十端城・滝ノ入城等は高梨氏の支配地の南部における防衛線であったと推測できる。

苅田小城
本丸南石垣 本丸 本丸背後堀切

苅田大城
大城へ続く尾根・門跡か 本丸西堀切 堀切から続く竪堀
土塁 本丸 岩松院から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                  「信濃の山城と館  戎光祥出版 」
訪城回数 1
2006年12月