柏原城

柏原城かしわらじょう
三重県名張市赤目町柏原
Mapion

--城址碑--
別名 滝野城・滝野十郎城
交通 近鉄大坂線「赤目口駅」から徒歩20分。
築城年代 1558〜70年(永禄年間)
築城者 滝野上野介貞清・滝野十郎吉政
形式 丘城
主な城主 滝野十郎吉政
清和天皇の皇子貞元親王は名張郡の地を賜り大江と称すが、1558〜70年(永禄年間)その子孫上野介貞清は柏原の領主となり、滝野氏を名乗り居住したと伝えられる。
1581年(天正9年)城主十郎吉政の時、織田信長は伊賀攻めを各部将に命じ、信雄を総大将とする4万2千の大軍で侵攻した。「第ニ次天正伊賀の乱
10月3日上野比自山を攻略した織田勢は、最後の拠点として伊賀土豪たちが立て籠もるこの柏原城に総攻撃を開始した。城方は僅か1千6百余りであったが、織田勢3万数千人を相手に激しく抵抗する。しかし多勢に無勢であり、兵糧も尽きた為、10月28日早朝吉政は総大将北畠(織田)信雄に降伏した。
城址西にある勝手神社外側に城址碑が建つ。
北から城址遠望
北下に居館跡がある
主郭虎口 空堀

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
                  「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2008年12月