山梨県甲府市川田町 --館址・案内板-- |
別名 | 石和館 |
交通 | JR中央本線「石和温泉駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1465年(寛正6)以降 |
築城者 | 武田信昌、または信虎とも |
形式 | 館 |
主な城主 | 武田信虎 |
1465年(寛正6)武田氏16代信昌が守護代跡部景家を小田野城に攻め滅ぼした後、川田館が築かれたと考えられ、1519年(永正16)孫の信虎が躑躅ヶ崎館に本拠を移すまで、およそ50年間、甲斐国統治の中心であった。一説に信虎が築いたともいわれる。 1507年(永正4)父信縄が没すると信虎は14歳で家督を継いだ。1508年(永正5)叛いた叔父油川信恵を攻め滅ぼし、1510年(永正7)郡内小山田氏と和睦した。その後大井氏とも講和し、大井信達の娘(信玄の母)を夫人とする等、国人達の掌握化が進んだが、依然国内には敵対勢力があった。信虎は領国支配を進める過程で政治的・経済的に最適な場所を求め、またこの地は度々水害に悩まされた地でもある事から躑躅ヶ崎に本拠を移す事となった。 二宮神社付近が館跡とされ、東側に案内板がある。一面ぶどう畑になっており明確な遺構はないが、付近には堀に引き入れていたという水路が流れている。 |