川崎城

川崎城かわさきじょう
栃木県矢板市館ノ川
Mapion

--東・宮川対岸から城址遠望--
別名 塩谷城・蝸牛城
交通 JR東北本線「矢板駅」から徒歩30分。
築城年代 1199〜1204年(正治・建仁年間)
築城者 塩谷朝業
形式 山城
主な城主 塩谷氏
1192年(建久3)頃、塩谷北部地域を支配していた塩谷朝義に跡継ぎが無かった為、宇都宮業綱の2男朝業が養子となり、1199〜1204年(正治・建仁年間)にこの川崎城を築いたという。朝業は歌人としても優れ、鎌倉幕府3代将軍源実朝とは和歌を通じても親しい主従関係にあった。その後実朝が暗殺されると、世の無常を感じて出家し、信生法師と号する。
塩谷氏は教綱の頃、宇都宮氏を支族の武茂持綱が継いだ事に不満を持ち、本家宇都宮氏と争うようになった。一度は和睦するも、1458年(長禄2)宇都宮城に招かれ謀殺され、塩谷氏は断絶した。
その後宇都宮正綱の子孝綱が塩谷氏を再興するが、1590年(天正18)孝綱の子義孝は豊臣秀吉に背き、塩谷郡を追われて奥州へ逃れた。その際川崎城は廃城になったと考えられる。
城域は、北は城の湯温泉西まで、南は堀江山(初期の居城か)までの南北約1500メートルに及ぶ。川崎城は城址公園として整備されており、遺構も良く残されている。
南曲輪に立つ歌碑
1219年(承久1)塩谷朝業が出家し、
川崎城を後にする際、読まれた和
歌が彫刻されている。
本丸下横堀・土塁 本丸下横堀
堀の先は断崖となる 本丸 本丸から見る二の丸
本丸から見る二の丸東曲輪 本丸下帯曲輪 二の丸・本丸間横堀

参考文献 「現地案内板」
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年1月