信州の動きを監視する為、諏訪口に通じる下の棒道に設置された番所跡。国境で旅人や物資の移動を監視した小規模な関所を口留番所といい、武田氏時代、甲斐国内に軍事目的で25関所が設置された。 江戸時代に入り、江戸幕府にも踏襲され、治安維持と江戸防衛が主たる目的となり、「入鉄砲出女」等を取り締まった。地元尾根組も課役を受け持ち、番人及びその給料負担をする等、貢献した。 1872年(明治5)廃止となり、地元に払い下げられ、施設は撤去された。 「甲斐の山城と館 戎光祥出版」によると、現在の北杜市商工会付近に在ったとされるが、遺構は何も残らない。西200メートルに建つ太平寺横の駐車場に石碑が立てられている。 |