栃木県日光市小倉 --主郭北堀切-- |
別名 | |
交通 | JR日光線「文挟駅」から登山口まで徒歩10分。 南東麓、行川の西を通る道路沿いに登山口があります。 |
築城年代 | 1532〜55年(天文年間) |
築城者 | 桜本坊昌安 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 桜本坊昌安 |
1532〜55年(天文年間)日光山桜本坊昌安が南の抑えとして築いたとされる。 1587年(天正15)10月25日、後北条氏方に在った小倉城は宇都宮・佐竹連合軍に攻め落とされたが、後北条氏と結ぶ桜本坊と日光山衆徒はその日の内に奪還し、宇都宮氏方の家老小泉・戸祭両氏が討死したという。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅ぶと日光領は没収となり、小倉城は廃城となった。 標高390メートル、城山に位置する。山頂は堀切を隔てて南北2つの曲輪が並ぶ。最高所に雷電社が祀られる北曲輪は南に傾斜しており、ほぼ自然地形となる。南曲輪は周囲に横堀が設けられ、北曲輪より低い位置にあるが、北側に土塁が設けられている事からこちらが主郭とみられる。 小倉城は地元では「ハチボウヤカタ」と称するといい、尾根伝いの八方館と一体として機能していたと考えられ、史料にみえる「羽地宝山」・「八ほう山」も両方を指していたと推定される。 |
主郭南東下竪堀 | 主郭南土橋 | 主郭東横堀 |
主郭西横堀 | 主郭 | 主郭北土塁 |
主郭北堀切 | 北曲輪 | 雷電社 |
北曲輪下堀切 | 堀切から続く竪堀 | 北西尾根堀切 ここから尾根続きに八方館 |