小山城

小山城こやまじょう
静岡県榛原郡吉田町片岡
Mapion

--三重三日月堀--
別名     
交通 JR東海道本線「島田駅」からバス「吉田高校前」下車。
築城年代 1571年(元亀2)
築城者 馬場信春(信房)
形式 平山城
主な城主 大熊朝秀
小山城の前身は今川氏の築いた砦といわれるが、築城年代や規模は明らかでない。
1568〜69年(永禄11〜12)今川氏没落後、大井川を境とし、東は武田信玄、西は徳川家康が領有する事となったが、信玄は大井川を越えて小山城へ入城した為、家康との争いが繰り広げられる。1570年(元亀1)激しい攻防の末、小山城は家康家臣である松平氏が領有するが、翌年信玄は2万5千の大軍で攻め寄せ、小山城は再び武田氏のものとなる。この時信玄は馬場信春(信房)に命じて本格的な築城を行い、大熊備前守朝秀が城主となった。
1581年(天正9)武田方高天神城が落城すると、小山城は孤立し、翌年2月、小山城兵は自ら火を放ち、その後廃城となった。
城址は能満寺公園となり、空堀や土塁が復元整備されており、模擬天守閣から見ると、本丸馬出・三日月堀の形状が良く分かる。西側地続きを守る三重三日月堀も非常に規模が大きく見応えがある。
南から城址遠望 本丸 本丸・二の丸間空堀
本丸馬出 本丸三日月堀 模擬天守閣
天守閣から見る本丸馬出・三日月堀 二の丸空堀 二の丸土塁
三重三日月堀内にある勘助井戸 三重三日月堀を仕切る土塁 西側は茶畑になっている

参考文献  「現地案内板」
           「戦国の山城 学研」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年8月