1601年(慶長6)この地に入部した小川壱岐守光氏により築かれた。 1616年(元和2)石川忠総が6万石で入城し、1639年(寛永16)日田が天領となると、麓に代官所(永山布政所)が設けられ、小川氏が代官を務めた。 1682年(天和2)松平直矩が
入城するが、1686年(貞享3)出羽国へ移ると、再び天領となり、以後約180年間、幕府直轄地として続いた。 城址は月隈公園・月隈神社敷地となっており、特に土塁や堀は見当たらないが、河原石を用いた石垣が確認出来る。また南麓には往時居館(役所)が設けられており、水堀が良く残されている。 |