益津庄司居館跡と伝えられる。 居館の位置については定かでないが、居館入口は通称御殿小路と呼ばれ、現在の上伝馬交番向かいの小道がそれにあたる。ここから入った所にあったと思われるが一帯は宅地化されている。 創築年代等の詳細は明らかではなく、また人物についても諸説あり、 ●今川氏家臣藤枝伊賀守氏秋の居館跡 ●初め今川氏の家臣で後に武田氏に従った孕石主水佐の屋敷 ●1214年(建保2)長谷川長者が久能大膳大夫定昌を討ち、その功により藤枝阿弁庄鹿島瀬戸郷を与えられ居住した館 ●将軍家御殿 ともいわれている。 |