滋賀県米原市柏原 --館址碑-- |
別名 | 箕浦代官所 |
交通 | JR東海道本線「柏原駅」から徒歩10分。 柏原宿歴史館前の路地を南に入ると案内板・碑があります。 |
築城年代 | 室町時代初期 |
築城者 | 箕浦次郎右衛門俊定 |
形式 | 館 |
主な城主 | 箕浦氏 |
箕浦氏は柏木源氏山本判官義定から出たとされ、義定の孫義明が箕浦荘に移ると、京極氏に従い、一族は繁栄する。 1360年(正平15)柏原城主京極道誉(高氏)が摂津守護を兼ねると、箕浦次郎右衛門俊定は守護代として摂津に派遣されるが、南朝方和田・楠木軍に敗れ京に退いた。その後道誉の命を受けた俊定はこの地に館を移し、以後代々2百年以上居住する。柏原城に近く、不破口を固める為であった。 戦国時代、良貞は織田信長に従うと、良貞の子大鍋・小鍋丸は信長の小姓となり、1582年(天正10)本能寺で討死した。 その後豊臣秀吉は清洲会議の帰路、狼藉を禁じる丹羽長秀と連名の制札をこの箕浦館に立てている。良貞死後、良直は幼少の為代官職を返上したが、その後広島藩浅野家へ仕官した。 案内板・碑がある付近を正面入口とし、間口100メートル、奥行き90メートルの規模で、堀が設けられていたとされるが、現在遺構は残されていない。 |