見付端城

見付端城みつけはじょう
静岡県磐田市見付
Mapion

--大見寺--
別名 端城・遠府城
交通 JR東海道本線「磐田駅」から徒歩25分。
築城年代 室町時代初期
築城者 今川氏
形式 丘城
主な城主 今川貞世
遠江守護職今川範国は、足利尊氏の命を受け駿河に進出し、駿河守護も兼任する事となった。今川氏は半世紀に渡り遠江・駿河を舞台に活躍し、具体的な位置は不明だが、見付の地はその根拠地となった。
やがて範政の頃、今川宗家が駿府に入ると、見付端城は遠江今川氏、今川貞世以後数代の居城となる。
1536年(天文5)4月7日、今川氏輝が24才の若さで没すると跡目騒動が起こり(花倉の乱)、貞世の5代孫である堀越用山(六郎貞基)は反義元派に属した為、1537年(天文6)義元は天野虎景らに命じ、見付端城を攻略した。
1569年(永禄12)1月、徳川家康によって廃城となった。
二の丸は見付交流センターとなり、城址碑が立つだけだが、南側に建つ大見寺は館・御殿跡とされ、境内に土塁が残されている。

参考文献 「現地案内板」
                 「日本城郭全集 人物往来社」
                         「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月