古くから東信濃地方において強大な勢力を誇った滋野氏の一族である望月氏累代の居城。 1335年(建武2)滋野氏や諏訪氏は、新田義貞により鎌倉を追われた北条高時の遺児時行を奉じ挙兵、鎌倉を目指す。諏訪氏と深い関係があった望月氏もこれに従った。その為信濃守護小笠原貞宗に攻められ、望月城は落城、破却された。以後滋野一族は衰退し、望月氏は大井氏の支配下に入る。 その後戦乱により武田氏へと支配が移り、武田家滅亡後は佐久諸氏と同じく後北条氏に属し、徳川方依田信蕃と争ったとされる。 |
参考文献 「現地案内板」
「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年4月