本庄城は室町時代以来、この地方の地頭本庄氏の根拠地であったが、1598年(慶長3)村上頼勝が12万石で入部すると、本庄城を修築して村上城と改称した。 1618年(元和4)村上忠勝が改易になると、堀直寄が入り、村上城は更に大改修され、城下町も整備された。 1642年(寛永19)堀氏除封の後は、目まぐるしく城主が変わり、明治維新に至るが、1868年(明治1)北越戊辰戦争の際、全城郭が焼亡した。
●本庄城 村上城以前の本庄城は、近世村上城と本丸の位置はほぼ一致するが、石垣は用いられなかった。 本庄城をめぐる攻防は1507年(永世4)以降、60年間に3度あり、中でも1568年(永禄11)は激戦で、城主本庄繁長は上杉謙信に攻められながらも、篭城戦を展開し、落城することはなかった。 村上城東側斜面には現在も中世村上城の遺構が確認出来る。 |