六浦藩米倉氏1万5千石陣屋跡。 甲斐国出身である米倉氏は清和源氏新羅三郎義光3男義清の孫である義行を祖とし、その孫信継の時、八代郡米倉郷に住み、米倉氏を称したという。そして信継から10代目重継の時、一族は武田信玄・勝頼父子に仕えたとされる。 1582年(天正10)武田家滅亡後、重継の子忠継は徳川家康に仕え、幕臣米倉氏初代となった。1696年(元禄9)忠継から5代目昌尹は武蔵・相模・上野国内で1万石を領し、金沢藩を開くが、その後下野国皆川へ移った。 1722年(享保8)8代忠仰の時、皆川からこの地に陣屋を移し、六浦藩と改名し、一時三浦藩とも称した。最後の藩主15代昌言は黒船来航に際し、海岸御固大名として江戸湾金沢沿岸防備を担当し、その後明治を迎え、子爵となっている。 金沢八景駅付近から裏手の谷戸一帯が陣屋跡とされるが、住宅地となっている。また谷戸南東の泥牛庵山頂は「殿様の見晴台」といわれ、御茶山とも呼ばれていたとされる。 |