明禅寺城

明禅寺城みょうぜんじじょう
岡山県岡山市中区沢田
Mapion
登山口地図

--城址案内板--
別名 明善寺城
交通 岡山電気軌道東山本線「東山駅」から登山口まで徒歩15分。
地図の地点に登山口・案内がありますが、他にも複数ルートが
あるようです。
築城年代 1566年(永禄9)
築城者 宇喜多直家
形式 山城
主な城主 宇喜多直家
1566年(永禄9)亀山城(沼城)を居城とする宇喜多直家により築かれた。天神山城主浦上氏被官で戦国大名への成長期にあった直家は岡山平野と備中国への備えとしてこの明禅寺城を築くと、家臣に守らせたが、翌年松山城主三村元親に占拠された。しかし直家は明禅寺城を奪還すると、城下の平野で展開された三村氏との合戦に勝利し、岡山平野の支配権を確立させた「明禅寺崩れ」。そして間も無く明禅寺城の存在価値は無くなり、廃城になったものと思われる。
操山から北に延びる尾根頂部に位置する。三村氏の衰退、そして宇喜多氏の戦国大名としての自立の契機となった「明禅寺合戦」で知られる著名な城だが、一時的な陣城で、本丸に数段の腰曲輪を備えた単純な構造となっている。本丸北側に石垣が見られる他、虎口状の地形も確認出来るが、どこまでが旧状通りか不明。
本丸 虎口か 本丸石垣

参考文献 「岡山の山城を歩く 吉備人出版」
        「広島・岡山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月