長良川古戦場

長良川古戦場
岐阜県岐阜市長良福光

1556年(弘治2)4月20日
斉藤道三×斉藤義龍
Mapion

--道三塚--
交通 JR東海道本線「岐阜駅」からバス「北消防署前」下車。
1554年(天文23)斎藤道三(利政)は稲葉山城と家督を子義龍に譲ると、鷺山城に隠退した。この突然の隠退は道三の実子ではない事を知った義龍が弟2人を討ち、強制的に隠退に追い込んだものといわれる。隠退を余儀なくされた道三は最終的に義龍との武力対決に至り、1556年(弘治2)長良川を隔てて対峙した。
道三には娘婿である織田信長勢が来援する手はずであったが、到着前に両軍は衝突し、数の上で劣勢であった道三方は大敗した。道三自身は城田寺に逃れようとするが、長井忠左衛門・小牧源太・林主水らに討たれた。
道三の遺体は崇福寺の西南(現在のメモリアルセンター内)に埋葬されたが、塚は長良川の洪水に度々流され、その後1837年(天保8)現在地に移され、碑が建てられた。

参考文献 「現地案内板」
               「戦国合戦事典 PHP文庫」
2017年4月