京都府京都市左京区浄土寺打越町 登山口地図 --主郭南堀切-- |
別名 | |
交通 | 各線「京都駅」からバス「銀閣寺前」下車。登山口まで 徒歩10分。大山出城経由で登山道があります。 |
築城年代 | 1549年(天文18) |
築城者 | 足利義晴 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 足利義晴・足利義輝 |
1549年(天文19)細川晴元は三好長慶と対立し、6月、江口合戦で敗れると、擁立する12代将軍足利義晴・義輝(義藤)父子と共に近江国坂本へ逃れた。同年10月、義晴は京都奪還の足がかりとしてこの中尾城の築城を開始、入洛の機会を窺う。築城に際し、「鉄砲用心」の為、堀切と「壁」の間に石を詰めたという記録が残り、日本最初の鉄砲防御を施した城とされる。 1550年(天文19)5月、義晴病没後、跡を継いだ義輝が入城するが、11月、長慶率いる大軍に攻められると、自ら城を焼き、近江国堅田へ退却した。この後、中尾城は三好勢により破却されたといわれる。 標高190メートル、銀閣寺裏山に築かれ、北西250メートル、大山出城と呼ばれる館城とから構成される。山頂の主郭と一段低い二郭を中心とし、周囲にいくつかの郭が築かれており、南北尾根筋は堀切が設けられ、南側は二重になっている。 |
二郭 | 二郭北堀切 | 主郭 |
中尾城プレート | 井戸跡か | 主郭南堀切 |