1467〜69年(応仁年間)頃、大井大膳太夫義久により築かれたとされる。大井氏の出自については諸説あり、不明な点が多いが、信濃国佐久郡大井氏の流れを汲むという。その後1573〜92年(天正年間)仁賀保氏との争いが激化し、大井氏4代満安が新荘館へ移るまで代々大井氏居館であった。 矢島盆地南西、北に延びる舌状台地上に位置する。西側最高所が主郭と考えられるが、一面シダに覆われている。東側には大井氏創建と推定される八幡神社が建つ郭があり、北下に堀切や畝状竪堀群が残されている。八幡神社南は馬場跡と称される郭があり、北側縁に石積みが確認出来る。また馬場跡南は水田になっているが、往時は家臣団の屋敷跡とされ、陶片が出土している。
|