二階堂氏屋敷

二階堂氏屋敷にかいどうしやしき
神奈川県足柄上郡大井町篠窪
Mapion

--屋敷跡に立つ案内板--
別名 篠窪城
交通 小田急線「新松田駅」からバス「篠窪」下車。
築城年代 1390年(明徳1)頃
築城者 二階堂貞政
形式 屋敷
主な城主 二階堂貞政・篠窪氏
1390年(明徳1)頃、二階堂貞政がこの地に居を構えたといわれる。二階堂氏は鎌倉二階堂村に住し、鎌倉幕府公文所執事職を務めた二階堂行政を祖とし、1213年(建暦3)和田合戦の際、行政2男である行村が戦功を立て、この大井荘を賜り、篠窪の地頭となった。6代貞政はその子孫であり、その後二階堂氏は篠窪と改称し、1558〜70年(永禄年間)には篠窪民部丞が知行しており、後北条氏、続いて大久保氏に仕え、代々篠窪地方を統治した。
幕末から明治にかけて活躍した幕臣高橋泥舟は貞政の末裔とされる。
現在屋敷跡は宅地や畑となっている。付近には貞政開基とされる地福寺が建ち、境内に墓所がある。また屋敷跡南の了全山山頂には貞政墓所である了全塚があり、五輪塔が立つ。
地福寺 二階堂氏墓所 屋敷跡に残る井戸跡
屋敷跡付近を流れる川 屋敷跡
正面の山が了全山
了全塚

参考文献 「日本城郭全集 人物往来社」
            「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2020年2月