「新編武蔵国風土記稿」に小田には殿屋敷の地名があったとみえるが、その居住者については不明としている。 同書には1301年(正安1)の銘がある古碑の存在も記されており、また小田・渡田地区には新田義貞の4人の重臣、新田四天王にまつわる伝承が多く残されており、小田1丁目にはその一人畑六左衛門時能の末裔とされる畑氏墓所がある。時能は2人の家来と犬獅子という犬を連れて足利方の城に忍び込み、塀を乗り越え城内に討ち入り、攻め落としたという逸話が残る人物である。「殿屋敷」の年代や人物、位置については不明だが、これらの事から古くから何者かがこの地に居住していた事が考えられる。 また江戸時代にこの一帯は畑ヶ新田と呼ばれ、畑十兵衛、畑喜右衛門の頃に開発が進められたと伝えられる。 |