佐久東部を中心に栄えた大井氏宗家城館跡とされる。東は湯川の断崖、西は南北に走る田切によって形成された台地に位置し、王城を中心に堀切によって三区分され、北は築城年代が最も古いとされる石並城、南は黒岩城と並び合わせて大井城(岩村田館)と呼ばれる。 1484年(文明16)大井城は村上氏に攻められ落城、大井氏宗家は滅亡した。 その後支族により再興されるが、武田氏の支配下に入り、武田氏滅亡後は徳川家康方依田信蕃の支配下に置かれ、やがて廃城となった。 |
|
|
|
切り通し |
王城(王城公園) |
王城・石並城間堀切状地形 |
参考文献 「現地案内板」
「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年4月