大内氏館

大内氏館おおうちしやかた
山口県山口市大殿大路
Mapion

--復元された西門--
別名     
交通 JR山口線「山口駅」から徒歩20分。
築城年代 南北朝時代
築城者 大内弘世
形式
主な城主 大内氏
百済国26代聖明王の第3王子琳聖太子を祖とする大内氏館跡。周防国佐波郡多々良浜に上陸した琳聖太子は初め多々良氏を称し、その後大内氏を名乗ったという。
1363年(貞治2)大内氏24代弘世の時、大内御堀からこの地に館を移すと、義長に至るまで9代、周防を始め、分国の政務を司る領国支配の拠点となった。
1549年(天文18)毛利元就が元春・隆景の2子を連れて訪れ、歓待を受けている。大内氏滅亡後、毛利元就長男である隆元は義父大内義隆の菩提寺としてこの大内氏館跡に龍福寺を建立した。
石組溝 龍福寺 龍福寺・大内義隆供養塔

参考文献 「現地案内板」
                        「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2008年1月